東信貴鋼索(ケーブル)線
旧信貴生駒電鉄は、「信貴の毘沙門天」として親しまれている朝護孫子寺を結ぶ目的で、大正11(1922)年5月に王寺―信貴山下間の地平線(現在の近鉄生駒線)と信貴山下―信貴山間の鋼索線を開通させました。しかし、奈良県内に大阪電気軌道(近鉄奈良線の前身・以下大軌)が路線を広げ、国鉄関西本線の利用者が激減したため、利用者数が伸び悩みました。その結果、大正14(1925)年に新たに設立された信貴生駒電鉄に路線が譲渡されました。さらに、昭和5(1930)年に大軌系の信貴山電鉄が大軌線と信貴山を連絡するケーブル線(現在の西信貴ケーブル)を開通させたので、さらに大阪側の参拝客が減ることになりました。昭和39(1964)年には近鉄が信貴山生駒電鉄を合併したが、やはり利用客は少なく、近くに有料道路が開通したこともあり、昭和58(1983)年9月に廃止されました。

東信貴鋼索線旧線見取り図

近鉄信貴山下駅構内には、かつての東信貴鋼索線車両の一部や、説明版などが展示されています。

信貴山下駅駅舎です。かつては鋼索線と一体型の駅舎でしたが、鋼索線廃止後に立て替えられました。

正面の道路が廃線跡です。比較的ゆるやかな勾配です。

中間行き違い地点付近です。実際は正面の高校の中が跡地です。

中間行き違い地点から先の廃線跡は、「千本桜並木」というハイキング道として残っています。なお、この道に入るには、県道の築堤を一旦山側に下らなければなりません。ご注意ください。

道の脇にはかつてのレールが打ち捨てられていました。また、その他には架線支持柱も立っています。

かつての橋梁です。枕木が目立ちます。

旧信貴山駅の駅舎です。現在はバス停の待合室としてそのまま残っています。

駅舎に残る、かつての切符売り窓口です。駅員室には立ち入り出来ません。
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