大阪線青山越え旧線
| 近鉄の前身である参宮急行は、1930(昭和5)年12月20日に桜井ー伊勢中川間を開通させ、現近鉄奈良線の前身である大阪電気軌道(上本町ー桜井間)と相互乗り入れして大阪ー伊勢間が開通した。開通当初、名張ー伊勢中川間は単線でした。その後、輸送力増強のため、1959(昭和34)年から複線化工事を始め、1967(昭和42)年には伊賀上津ー榊原温泉口間以外は複線化が完成しました。そして1971(昭和46)年、東青山ー榊原温泉口間の総谷トンネルで、通称青山事故 が発生しました。それが引き金となり、翌年から残りの単線区間の複線化工事が始まりました。そして1975(昭和50)年1月、近鉄最長を誇る新青山トンネル(5,652m)を含む同区間の複線化が完成したのでした。複線化は完全に線路付け替えとなり、伊賀上津ー榊原温泉口間には今も有名な廃線跡が残っています。今回はそれらの鉄道遺物を、西から順にご紹介いたします。 |

宮下トンネル東口。50メートルほどの短いトンネルです。
北山トンネルの手前に残っているキロポストです。上本町から82kmの地点であることがわかります。

北山トンネル西口。こちらもごく短いトンネルです。

谷奥トンネル西口。両側面下に排水溝がありました。

三軒家トンネル西口。わかりにくいですが、開口部の左上から撮影したものです。

三軒家橋梁。手前が単線時代のもので、奥が現在線のものです。単線時代のものは橋脚だけが残っていました。